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お久しぶりです。20周年。

多分23歳、から20年経ち、43歳になりました。

(↑これがわかる人がいたら嬉しい)


43って中途に見えますが、自分としては、社会人20年目の節目です。


20年前の2003年は、家庭と健康状態がマキシマム・カオスで2年休学してた音大を、それまでの「菊池守賢」から「朴守賢」として再スタートして復学した年です。


同時に、実家が差し押さえられてそのまま病気を抱えて一人暮らしに。音大はとても復学できる状態ではなかったけれど、期限的にこれ以上休学できず、大学から復学届と退学届が送られてきて、決心つかぬままとりあえず両方書いてみたら退学届を書き損じたので復学することに。病人1人で高い学費を払える見込みは全くなかったので、案の定後に中退(除籍)になるんですが、復学して少しの復帰の間に色んなご縁もあり、


初めて応募した朝日作曲賞で本選へ、

(↑大阪市音&マエストロ金洪才)


初めてテレビドラマの音楽させていただいて、

(↑KBS京都「ニトナツ」)


初めて済州島の親戚を(フェリー乗り継ぎのの貧乏旅で)尋ねて、韓国で故・A.リード博士にご指導を仰ぎ、


初めて国際舞台で作品を公式にプロに演奏していただいて、

(↑TKWO&マエストロD.Bostock @アジア作曲家連盟音楽祭)


そして、この音楽祭の1週間後、音大を中退(除籍)してその勢いのままエイヤーとフリーの荒波に飛び込んで、、


20年の節目になります。


それから今日に至るこの20年も、済州島の貧乏旅さながら自分の船を修理しながら、よくわからない舵取りで皆さんにご迷惑をおかけしながら、また大いに助けていただきながら、何とか転覆せずに今に至っております。20年のちょうど後半からは家族が新たに乗組員となりましたので、絶対に転覆なんてできません(自分が子どもの時に一回転覆経験したので大変さはわかります)。船は吹き曝しでオールで漕いでた20年前より小さいエンジンと少しの部屋付きのものになったとは思いますが、まだまだこれから音楽人生の大海原を渡るべく、コツコツ勉強しながら、また皆さんのお力添えをいただきながら、皆さんの人生に何らかの幸せな時間を、世界に何らかの輝きを"響かせ"られるよう、船もグレードアップ目指して健康に気をつけて航海して行こうと思います。


そんな節目なので、今年は秋ごろに久しぶりに自主個展をやってみようという気概でおります。気が変わらないうちに、「やります」とここで言っておきます。


皆様に感謝

家族に感謝

(危うくもう一回42歳させられるところでしたけど←写真)


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