
息子が小学校の入学式を迎え、めでたくドキドキドンの一年生になりました。 これまでかわいがっていただいた皆様に感謝です。 クラリネットやリコーダーの演奏活動が一番活発だった10年くらい前までは、 小学校にもよく学校公演などでうかがっていたのですが、 近年は小学校に関わることはあまりありません。 作曲や音楽指導で幼保と中高大、大人と関わることは日常的にあるので、
ちょうどすっぽり抜けております。 そういう意味では、僕としてもドキドキドンで色々楽しみながら 過ごしていきたいと思います。 入学式では、大阪市歌なんていう珍しいのも歌ってました。
僕らの時代にはそんなのなかったし、あったのかもしれませんが歌わなかったです。
聞くところによると近年歌い始めて、どうやら橋下市長時代に始まったとか(?) 6年生のお迎えのことばの後、2年生によるお迎えの歌と昔遊び(けん玉やこま)の披露がありました。 2年生は《ちょうちょう》、《めだかのがっこう》、《さんぽ》などを歌ってくれました。
声もよく出て、きれいな歌声で元気に歌ってくれたのですが、一つ気になることが。
「歌い方」や「ノリ」が画一的なのです。表現が一辺倒というか。
マーカーで線を引いたような、流れや波のない、直線的な表現。 歌もそうですが、体の揺らし方もずっとメトロノームのように、同じスピード感で。
いかにも「左右に揺らしてください」と指示されての体の動き。
音楽が体の中から湧き出てきて表出する動きではないのです。 《さんぽ》なんて3連符のノリなのに動きや歌い方にそれは感じられません。
ピアノも画一的というか、比較的無表情で淡白。 これはきっと、こどもたちがどうとか、先生がどうとか、この学校がどうとかではなく、 システムやステレオタイプの問題かと思います。「小学校ではこう歌う」というような。
手は後ろに組んで、メトロノームのように体を左右に揺らし、
終わったらまた気をつけ。隊列を組むときも歩くときも「ピッ」というピアノの合図。
音と動きに自由さが希薄だということが、一番気になったことなのだと思います。
歌で迎えてくれたことは素晴らしいですし、とても上手でしたし、きっと学校教育としては何も問題なく成立しているのだと思います。でも、僕自身久しぶりに小学校での、しかも式典での歌の場面に接して、あくまで「音楽」の側から接した時に感じた少しの違和感だったかと思います。 こんなことを感じた人は多分ほとんどいなかったと思いますし、僕も一保護者としては純粋に式典に出席して、その雰囲気や言葉、歌や在学生の様子を楽しむことができました。一方でここに書いたような感覚は音楽をする者にとっては、寧ろ失ってはいけない感覚だとも思いますので、敢えて書き記しておきましたm(_ _)m