名前と世界と私

日本の4月は桜の季節、新年度、春本番といった様相で、いつも桃色がかった華やかなムードに包まれますが、今年は新元号の発表があったことで、輪をかけてムードがホップしているように感じます。


今日は元号そのものの本質的な話ではなく、「名前(名称)が変わる」ということについて、少し書こうと思います。「名前(名称)が変わる」ことは、それだけで空気や、時には物事を変える力があると思います。


何かを名付けるのは人ですから、必ずそこに「想い」(時には「思惑」)が乗っかってきます。だからこそ、我が子の名付けや会社の名前には、変更も含め皆かなりのエネルギーを注ぐはずです。


元号は人ではありませんが、何しろ元号ですから日本全体にムードとしての、時の流れを感じさせるものとしての影響力があるでしょう。(政治的なことはここでは言及しません。) 人で見た場合、天皇もそうですし、古典芸能の襲名制度、昔の幼名、など、日本では「名前が変わる」ことがとても多いのではないでしょうか。洗礼を受けたクリスチャン、寺の僧、戒名、挙げれば結構ありますね。多くの国の場合、結婚も名前が変わるきっかけですね。あ、芸名も。


かくいう僕も、二十歳頃に「名前を変えた」一人です。正確に言うと、「名乗りを変えた」、になります。


「朴守賢」というのは紛れもなくこの世に生を受けた時から授かった名前ですが、それとは別に通常在日コリアンには「通名」という日本式の名前があります。(歴史的な事には言及しません。)

僕の場合、「菊池守賢」です。「守賢」は「もりたか」と読みます。(この名前も気に入ってます。) この通名で僕は約20年間生きてきました。その間本名が人生に登場してきたのは、行政手続き上のことや、出自についての学習の時など、数える程です。


僕は音大の短大に進学して卒業後、3年次編入をしたのですが、家庭事情と病気をしてしまったことにより、4年に上がる前に2年休学をしました。(2年後復学の後退学。)


表裏に本名と通名が書いてある名札があったとして、それまで通名の側を見せて生きてきた僕が本名の側に名札を裏返したのは休学2年目に差し掛かった時です。


そして、更に1年後復学する際には、学籍上の名前の変更届も提出しての復学となりました。「菊池君」がいきなり聞きなれない「朴君」として復学してきたので、さぞかし学友たちは驚いたことと思います。


二十歳頃変えたと書いていましたが、よく計算すると21歳頃ですね。復学時は22歳。今39歳なので、実はまだ「朴歴」より「菊池歴」の方が長いです。


「朴守賢」として生き始めてから色んな変化が自分の中からも世界の側からもありました。思うに、名前が変わるという事は、その人自身と世界との関係を測り直すようなことなのかな、と。名前を紐解いたり辿ることで、自分自身や家族から始まり、自身にまつわるコミュニティを辿っていき、ついには世界の中の自分を知ることになります。そうして、自分がこの世界でどのような役割を持って他者や社会と関わり、人生を全うしていくか、そのような背景が描かれているように思います。時が流れれば背景も変わり、節目に応じて名前が変わる。或いは、変える。


名前が変わることで、何かが変わることもあれば変わらないこともあるでしょう。「令和」も(何度も言いますが政治的なことは置いておいて) 何かそのような風の変化を皆が感じてムードがホップするのでしょう。 (写真は、地元四天王寺の東大門。この木札もいつか立て替えるのかな。 令和4年に、聖徳太子1400年御聖忌。) #令和





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