
今日は、母校である近畿大学附属高等学校吹奏楽部(近高)の定期演奏会でした。
といっても、私は仕事でお伺いできませんでしたが、定演開催を心よりお祝い申し上げます。
私の時代には考えられなかった、ザ・シンフォニーホールでの昼夜2回公演!しかも、別プログラムという意欲的なチャレンジを去年から始められて、今回もそのパターンです。
昼夜とも、名だたる名曲難曲が並び、また、3年連続シンフォニック・ジャズ&ポップスコンテスト総合グランプリの実力をたっぷり堪能できるジャズ・ポップスナンバーが続きます。
2年前の定期演奏会では、先日「21世紀の吹奏楽 第22回響宴」でも再演された《祝祭序曲「光、高鳴り」》を委嘱初演していただきました。
あまり話したことないですが、 今日は少し、近高吹奏楽部に出会うまでの昔話を書こうと思います。 近高吹奏楽部で多くのことを学びましたが、そもそも私はこの吹奏楽部に入る予定ではありませんでした。
私は小学校から剣道少年でして、道場の先生の息子さんが当時近高に通われていました。近高剣道部といえば全国区の名門。剣道少年パクは次第に近高で剣道をやることに憧れを持ちます。
近高に行って剣道をするにはいいが、中学はどうするか。そう、近高が強いんやから近中(近大附属中学校)も強いやろ、という安易な発想で近中目指して中学受験をすることに。 頑張って受験勉強、無事近中に合格。ここが、運命の分岐点です。いよいよ剣道部を訪れると、なんと部員は私を含めて3人!しかも、2人の先輩は中学から始めたので、その時点でキャリア6年の私の方が強い...。そしてお2人とも3年生で、夏には引退。。 かくして、剣道部は早々に私一人だけとなりました。当時スラムダンク人気で男子はこぞってバスケ部に入っており、彼らにからかわれたりもしました。一人では練習相手もいないということで、自動的に剣道部は休眠状態に、私は2年になるまで身体を作るために陸上部に移りました。 そして、2年生になり懸命の勧誘活動、未経験の同学年も誘い、復活した剣道部は10人くらいの世帯になりました。その頃に昇段試験を受けて剣道初段を取りました。3年生になって、やっと初の対外試合に出場することができました。(個人戦は呼び出しに遅れて不戦敗というまさかの結果だったのですが.....ゼロから作ったチームで団体戦で1回戦突破したことは思い出です。) 同時に、中学時代はバンド(吹奏楽じゃなくて、軽音バンド)を組んだりしていました。(ユニコーンとかブルーハーツのコピー。)そんな折、3年生時に吹奏楽部から声がかかります。吹奏楽部は人数が少なく10数名。コンクールに出場するのに打楽器が人手不足。ということで、きっとバンドやってたのもあったからか、声をかけてもらったのです。ここが私の人生で吹奏楽との初めての出会いです。血と汗の男子感満載の剣道部と真逆で当時の吹奏楽部はオール女子で助っ人の私一人が男子で、やや浮かれ気味に兼部をすることになりました。コンクールでは...確か、《ページェントリー序曲》(J.エドモンソン)を演奏したと思います。 そんなこんなで、中学を卒業。さぁいよいよ近高入学。(因みに、今は中高一貫ですが、私の時代はまだ一貫ではなかったので、ちゃんと受験もしましたよ!) 今度こそあの剣道部に! ....... しかし、そこは別世界でした。全国から集まる剣士達。勿論みんな推薦入学です。場違いな私はお邪魔虫のようにあしらわれ(試合でやられたとかじゃなく、扱いが)、ここは自分の居場所ではないと悟り、引き下がります。 じゃあクラブどうしようか。そうだ、中学の時にかじった吹奏楽、ということで吹奏楽部の新入生歓迎コンサートに行き、入部を決断。中学の時吹奏楽部で一緒だった友人も何人かいたのもあってすんなり入りました。クラリネットとトロンボーンと迷い、結果クラリネットを選択。 そこからは本当に3年間どっぷりクラブ漬けの日々でした。 朝練に早く行き過ぎて、学校まだ開いてなかったから門よじ登って怒られたことも...(笑 昔話はここまでです。 あの時数えられてた定期演奏会の回数も確かに重なって、今日の後輩達の立派な定期演奏会にまで繋がっていることを思うと感慨深いものがあります。 濃かったあの日々を思い出して、また頑張ろうと思います。 改めておめでとうございました♪