
私たちは何かにつけて、区切りや節目を付ける。時間は区切られるだけ区切る。四季もそうだし、単なる数字でも、5の倍数にやたらと節目を感じる(十進法を採用しているからだと思うが)。そうしないと時間も数も無限で人間の脳では到底全体として捉えきれないからなのか。そういうことで、年齢も例に漏れず、「20代」「30代」、というように分けて、10の位が上がると、妙な高揚感や危機感、期待や不安(人によるだろうが)を覚える。それは23歳から24歳になる時と、39歳から40歳になる時とでは、度合いが違うことの方が多いと思う。 勿論、この宇宙の一部として、天体の自転や公転とこの大地での気候や生活の周期が運命的に共にいる以上、数え方がどうあれ、時間や数の法則を天の動きに従って一定決めた上で我々は生きているので、何かの周回を「再び帰って(周って)きた」と感じ、それを節目とするのは至極当然ではある。
節目は、思うに、「一度そこでポーズをとる」ということなのだと思う。時間は一瞬たりとも止まらず流れているので、流れの中で到着のポージングを決めて、周囲の景色を少し確認する。節目はその一瞬で、次の瞬間に景色はまた流れ始め、節目の旗印は後方へ小さくなっていく。だからこそ、一度その着地点の景色とこれまでの景色、これからの景色を五感で感覚し、確認する。世界と自分との関係を適切に測りなおすように。
そう考えると、節目というのは、音楽のカデンツ(終止形)でいう「トニック」だ。何かしらのホームへの帰結であり、着地であり、動いていた細胞の集合体が何かの形を成すその一瞬である。「40歳!」という瞬間とか、「ハッピーニューイヤー!」とか。そうすると、「39歳!」とか「5、4、3、2、1...!」とかいうのが「ドミナント」になる。「動」の時間。テンションを上げて(俗語の「テンション」と音楽用語でいう「テンション」をかけている)、飛び跳ね、走る、安定の為の不安定。トリプルアクセル真っ最中。
音楽表現に於けるカデンツは、その一つ一つの縦の響きは元より、和声進行による時間の流れの美しさに真理があるように思う。美しいトリプルアクセルから美しい着地、という「流れ」が美しい。その流れの中で表現する、生命をかけて磨いた創造的なアクションが美しい。本当にトニックを輝かせるならば、ドミナント(本当はその前の進行から)のクオリティが大事だと思う。 人生の終始線が打たれるまで、響きも景色も変わり続ける。節目の美しさを楽しみながら。